現在NYでシンガー、オーガニックコスメの製造販売、イラストレーター、Youtubeの発信と幅広く活動している村上八生さん。NYに住んでから8年半が経ち、アメリカでは、もう10年にもなるとか。最初はカリフォルニア(以下CA)のオレンジカウンティに渡米されています。
24歳で世界一周を目指し、バックパッカーの旅に出たことがきっかけだったそうです。その旅の最終目的地にしていたのがオレンジカウンティ。
アジア大陸を回っていた頃、インドで体調不良になり入院し、緊急帰国。3ヶ月弱で途中断念し日本で生活するも、オレンジカウンティへ行きたかった気持ちがずっと心の片隅に残っていて、アメリカに行くことを突然思い付いた時からは、すぐに貯金や準備を始めたそうです。
友人を介して知り合った方が偶然にもオレンジカウンティ在住で、そこにホームステイをすることが決まったそうで、この「導かれた」という感覚は特に大事にしているようです。
My Ground :NY / Yatsumi Murakami
渡米を決意した時はどのような想いでしたか。
「日本にいた時は、決まった価値観や小さな基準で判断されることにずっと違和感がありました。それから私はすごく繊細なので、人の目が気になって自分のやりたいように動けなかったりで、とにかく『誰も私を知らないところに行きたい』と言うのが大きな理由でした。『3ヶ月か半年で帰るね!』と言ってから10年が経ちました。」
なぜオレンジカウンティからNYに移ったのでしょうか。
「旅行でNYに来た時に電車に乗っていたら、NYで電車に乗って生活している自分が頭に浮かんで、その時に『いつかここに住むんだな』って直感的に思いました。しばらくしてCAから帰国した頃、一緒にいた人がNYに引っ越すと言うので、試しに一緒に住むことになり、3ヶ月間NYに来ました。また導かれたような感覚がありました。
その3ヶ月の間に、ミュージシャン達との素敵な出会いがあって、Brooklynのアパートのルーフトップでみんなでセッションしたんです。それは今までになかった環境で、すっごく楽しくて。それが全てを変えてくれました。『こんな場所あるんだ!ここなら音楽ができる!』って。一緒に住んでいた彼はまた仕事でCAに戻らなければいけなくなったけれど、そこからまたビザを取り直して、一人でNYに戻ってきました。
その後は、NYは【日常生活する場所】になったけれど、音楽活動を通して、生きている感覚が大きかったです。NYは音楽が生活の一部になっているところがいい。外でも、 地下鉄でも、レストランやバーでも、どこでも生の音楽があるんです。」
実際にNYに住んでみて、新たに発見したNYの良さはどんなところですか。また、価値観の変化などはありましたか。
「色んな人がいて、色んな文化を体感できること。NYはエリアごとに『ここはどこの国』と言うのがあって、少し歩くだけで、旅をしてるみたいに、急に街の景色や人や文化が変わるのが面白いし、それによって自分の価値観がぶち壊されて、拡大していく。特に日本は閉鎖的な考えもあるから、それは心の健康のために、一度壊されるべきだなと個人的には思っています。こっちでは、みんな言ってることもやってることもはちゃめちゃだし、何事に対しても心や身体が疲れるほど頑張りすぎないから、『こんなもんでいいんだな』って。」
NYは物価も家賃も高く、ルームシェアをする方が多いと思いますが、他人と暮らすということはどうでしたか。
「私はすごく気を遣う性格で、たまに神経質だから、そもそもルームシェアは全く向いていないタイプ。様々な国の人と住んだけど、衛生観念みたいなものは、それぞれ違うので、びっくりするほど汚いところもあって【清潔】のレベルが全く違う。掃除に1週間かけたことや、ゴキブリやネズミが多くて2週間で引っ越したことも。ロックダウンの期間では、全員ずっと家にいるようになって、常に顔を合わせたりするから大変なこともありましたね。
でも、長いルームシェアの経験の中で、とても綺麗好きな方に影響を受け、自分自身も綺麗好き、整理上手になりました。友達ではない人達の家での生活を見るのって新鮮だし、話して知ることも出来たりして、楽しいこともあります。色んな考えの人がいて、想像をも超える出来事もあって、色々と勉強になりました。(でも、できればもうしたくないかな。笑)
今は彼と二人暮らしだから、アメリカに住んでから初めて、ほっとしながら過ごせています。」
パンデミックはもちろん、大統領選挙や黒人差別問題、アジアンヘイト。本当にNYも、去年は大変な時期を過ごしましたよね。今までのように普通に電車に乗ったり、街に出ることさえも躊躇したりしたのではないでしょうか。
「去年から今年にかけて、NYは歴史に残るような様々なことが起きて、自分のメンタルの状態も相まって、きつい日々を過ごしました。街にいる全ての人が怖かったり、 常に戦闘体制で外を歩かなきゃいけないのは辛かった。でもそれらを通して気づいたり学んだことも沢山あったし、このような時期にNYにいられたことは、とても貴重な経験だったなと。日本を出て色んなことを知れて本当に良かったと思っています。」
そして、新しいことにもチャレンジしていますよね。その一つが化粧品の販売。数年前から友人の間で販売していたとのことですが、なぜ化粧品の製造・販売を始めたのでしょうか。
「最初はアメリカの製品と自分の肌が合うのか不安だったので、慣れ親しんだ日本の物を使っていましたが、NYに移るにあたって長期になると確信していたので、それまで気になっていたDIYの化粧水に挑戦しました。そうしたら、コストがかからない上に、肌の調子もとてもいい。使っているうちに、人に会う度『肌が綺麗』と言ってもらえるようになって。学校では授業中に、化粧水のレシピをみんなに教授したり、友達にも常にレシピを聞かれていました。でも、結局みんなめんどくさがってやらないんですよね。
2018年、ついにオーガニッククリームを作り始め、良いものができたので販売したいと思いながらもモジモジしていたら、友達が販売用のジャーをプレゼントしてくれました。それが販売の始まりです。ありがたいことに、よく『何使ってるの か』と聞かれるので、その現品をプレゼントしたり、サンプルを配ってたら、みんなが買ってくれました。自分の肌が商品の証明になるから、話が早かったんです。そして、その買ってくれた人達の肌にも変化が出るから、そのまたお友達も『何使っているのか』という風に段々と広がっていって、一時期周りにいる女の子みんな使ってくれてたんじゃないかって感じでした。」
その化粧品を販売しているBrownというショップはどんなお店ですか。
「Brownは、アジア系のスモールビジネスやデザイナーの商品を取り扱ってるお店です。オーナーである日本人のお友達が、アジア系のお友達と一緒に今年、BrooklynにOPENさせました。そのお友達はクリームを使ってくれていて、私が店頭に置けるところはないかなと考えていたところに、ちょうど声をかけてくれました。」
イラストレーターとして活躍していた村上さんですが、 ラインのスタンプも作ったんですね。
「LINEのスタンプはずっと前から作りたいと思っていたけれど、なかなか実現できずにいました。でも、2020年に環境が少し変わって時間ができたのと、とにかく自分の技術を活かしてNYで生活したいと思い、ついにLINEスタンプ作成に着手しました。ロックダウン中、毎日絵を描き続けて100種類以上描いたので、近々新しいものもリリースしたいと思っているところです。」
そして、Youtubeのスタート!新しく何かを始めるって誰でもできることじゃないと思うんです。Youtubeで発信しようと思ったきっかけはなぜですか。
「とにかく、伝えたいことがある時に発信できるプラットフォームが欲しいなと思っていました。日本では報道されないNYで起きている本当のことを伝えたい。それだけではなく、そこから自分達に何ができるか、自分達は無意識にどう感じているか、どうしたら今ここから小さな変化を生み出せるか、一緒に考えられるような発信をしたいと思いました。
実は、スケボーを始めたきっかけも大きくて、当時は身体の不調も続いたりしている中で始めたんですが、『まだまだなんでも出来るんじゃん!』って前向きな気持ちが生まれてきました。
30代後半に入って、音楽をやったり、化粧品の販売をしたり、LINEスタンプを作ったり、スケボーを始めたりして、私は年齢関係なく、好きに生きて、いつでも何でも挑戦できると思ってるんです。この感覚を持てない人も沢山いるんじゃないかなと思っていて。だから私が体現して伝えようって。それで『大人になっても遊ぼうよ!』って意味を込めて、『ASOBO TV NEW YORK』という名前になりました。」
その中で印象的だったのは、グレイヘアを受け入れたこと。【隠す】じゃなくて【生かす】といったこと。「自分を受け入れて自分を認めること」は簡単ではないはずですが、ポジティブな考え方に至った経緯、「自分のコンプレックスが長所や個性に変わるんだ」という意識は、どのようにして持てたのでしょうか。
「これはすごく時間が掛かりました。今でも忘れないんですけど、NYに来てすぐ、電車でグレイヘアのすごくおしゃれでかわいい女性を見て、『あの人みたいになりたい』と思ったんです。NYは、おしゃれな40代50代の女性が沢山いて、本当に年齢関係なく自分を生きていて、無理もなく、とても素敵。憧れは募っていって、でも自分でやるとなると、この童顔とのギャップも含めてなかなか踏み切れず。
そんな中、コロナでロックダウンになって、人に会わない日々が続いて髪を染めなくなったんです。ある程度伸びた段階で、このまま生かすか、染めるかを考え始めました。派手なカラーをするのも自分らしくないような気もしていて。でもある日、その日だけのピンクカラーをグレイの部分につけたらすごく可愛くてテンション上がってる自分がいて、その後マニキュアでパープルに染め、その動画をYouTubeにあげたら反響がありました。
また少し経って人に会わない期間があったので、『今度こそグレイヘアになるか、でも…』の繰り返し。女性として見てもらえないんじゃないかという葛藤もあって。
何にも決めずにサロンへ行って、美容師さんと相談しながら髪を作り上げていく中で、『うん、いいじゃん!』って思いが生まれて、本当にあそこから一気に気持ちが変わりました。 サボりがちな私のYoutubeチャンネルの中でも、グレイヘアの動画は再生数が伸びていたので、『みんな悩んでるんだ。背中を押してほしいんだ。』とより感じて、『自分がやらなきゃ』という変な責任感がありました。もちろんジャッジされる恐怖は今でも時々顔を出すけど、『そのままの自分とは』って常に考えて生活してるから、気持ちに余裕が出来てきたかもしれません。」
そうやって悩みを乗り越えようとする姿勢、そして、ありのままの美しさを大切にしていることも、きっと皆さん勇気づけられますよね。
「そう!ちょうどこの前Williamsburgで、通りかかった女性が 『あなたの髪、すっごくすっごく綺麗!なんてゴージャスなの!』ってとても興奮した様に言ってくれました。きっと彼女もグレイヘアに悩んだり、移行を考えたりしたことがあるんだと思います。こうして同じ悩みを抱える女性同士がインスパイアしあって、サポートしあってるのがすごくいいなって。嬉しかったのはもちろん、とても感動しました。
NYでは、ロックダウンを機にグレイヘアへ移行した女性をよく見かけるので、私も声をかけたくなることがあります。声をかけることで愛と自信のバトンが受け渡され続けていきそうですよね。」
いい循環しかないですね。アメリカでは、人と違うことは個性として受け入れられますよね。すれ違った知らない人からも、着ている服から何から褒めてもられる。魅力的に思ったら、どんな人にも気軽に話しかけて、会話が生まれる。そういうのは、とても生きやすそうだし、何より気持ちがいいですよね。
「ええ。個性があるのがいいこととされているのは、本当にアメリカのいいところです。何歳になっても皆恋愛も現役だし、自分を生きてる。褒める文化も素晴らしい。
私も知らない人でもいいなと思ったら、『それいいね!』って言いますよ。友達や家族にも、褒めたり、『あなたのこんなところが素敵だよ』って伝えることが多くなりました。それは文化に影響されたのもあるし、NYで辛い経験を沢山してきたから、誰かの心に一瞬でも灯りを点せられたらと思うんですよね。」