My Ground : Cancer / Sonoka Takahashi
上行結腸がんによくある症状
上行結腸癌や横行結腸癌は、肛門に近い下行結腸の癌・S状結腸癌・直腸癌と比べても症状が現れる時には進行していることが多いそう。転移しやすい臓器は、肺と肝臓。
・貧血・腹痛・便通異常(下痢と便秘を繰り返す、便が細くなる)・腫瘤触知・体重増減・血便・など
わたしの主な症状
症状は病気が分かってからよくよく考えたら、、の話であって、ほとんど分からなかった。ただ何かの参考になればと詳しく書きます。
・血便・腹痛・便通異常(下痢、便が細くなる)
女性には、便秘による硬さで皮膚が切れてしまうことも誰でもよくあること。そして、私は幼少期からお腹が弱く、緊張するとお腹を壊したり、冷たい飲み物や脂っこい食べ物も苦手で腹痛をよくする。そんなのが当たり前だったので、何も疑わず。ただ、たまに少し便が細くなることは気になっていました。
・体重増減
体重の増減は、よく食べるのと年齢のこともあって、最近増えているという感覚はありましたが、2年の間で、1年2キロずつ増え、4キロゆっくり増えていきました。その時に、ちゃんと運動をしないといけないと思い、水泳を始めました。水泳は頻繁ではなかったけど、それもあって少し体重が減っていました。よく急激な体重の増減は、気をつけなければいけないというけど、急激ではなく、少しずつ増減していった印象でした。
・貧血
これもずっと昔から貧血気味なので、疑わず。
●病気がわかる直前の症状
・高熱が一日だけ出るのを2回
血液検査をしても炎症反応も出ず。風邪と診断されました。
・胃痛・お腹が張る感覚・ガスだまり
食欲があることが健康みたいに考えていたので、安心していたが、診断が出る前の1週間くらいは、とにかく晩御飯の後のお腹の張りがあって、ぷくぷくとお腹の中でガスが溜まっている感じ。腹痛よりも胃がキリキリしている感じがありました。
・腫瘤触知
決定的だったのは、右下腹部のシコリ。特に熱を出すこともなく1ヶ月が過ぎた後に、右下腹部のゴロつきが気になってきました。しばらく気にしないでいても、たまに動いて消える塊は、ずっとそこにあり、ある日横になると、とうとう動かないようになりました。気になって別の病院に行くも、医師には便が触れているだけと言われ、また様子見で終わりそうだったので、無理やりCTを頼み込んで緊急で診断してもらいました。
→疑わしいので、内視鏡検査へのため別の科へ。消化器内科医から内視鏡検査で悪性の上行結腸癌だと診断。外科へ。
伝えたいこと
自分の身体がおかしいという感覚を大事にし、それを訴え続ける。【様子見】の言葉は何回言われたんだろう笑。
血液検査では、大腸癌・腫瘍マーカーCEA等は、正常値。今の今まで一回も異常値になったことはなく、健康診断・がん検診では、この腫瘍マーカーだけの検査はおすすめしません。あくまでも追加としての検査。
人間は不思議なもので、病気だとわかると、その場所の痛みが出てくる。激痛ではなくチクッとした耐えられる程度の痛み。そして手術前までずっと食欲が旺盛でした。食欲がある=健康ではないんだな、と。
手術当日の心境
自分でもびっくりするほど、落ち着いてました。それこそ、手術室に歩いて向かっている最中は、試合に挑むような気分でした。何をするかちゃんと事前に説明してくれているので、頭で理解していたこと通りに進んで行きました。手術台も温めてくれていて、患者が安心できるように、ちゃんと配慮されていました。実は、手術は初めてじゃなかったので、手術台に上がっても、割と余裕でした。それよりも、やっと悪いものをなくせることの方が嬉しかったと思います。
退院後
とにかく痩せてしまって、体重計で37キロという数字を見た時に、さすがに焦りました。早く元の体重に戻したくて、たくさん食べて胃に負担をかけたてしまったり、がんの餌になりやすいものと知れば、一切口に入れないというような、間違ったやり方で、いっぱい失敗しました。これを食べたらまた病気になってしまうと、かなり神経質になっていました。
適度に、何事もバランス。食事もゆっくり食べるとたくさん食べれて消化も早い。アレルギーも一度調べて、自分の身体に何が良くないのかを把握しました。添加物は昔から気を付けているものの、調味料もすべて変えました。
その時は、身体のラインが出るものや肌を見せる服装は控えてました。ボトムは古着屋で買い直したり、学生の時に履いてたデニム(思いのほか形が新鮮)を実家から持って帰ったり。3年半でやっと少しずつ体重も戻ってきました。
今は3ヶ月に一度通院し、経過観察しています。「5年という長い付き合いになりますが、チーム一丸となって、あなたを診ていきます。」と言ってくれてとても心強かった。(ステージや治療方法については言及を控えます。本当に人それぞれの選択だと思います。)
考え方の変化と変わらないこと
❶ 当たり前ですが、家族や周りの人に感謝の気持ちを持つこと。自分にも「死」という意識が生まれたときに、今いる周りの人たちを大切にしようと決めました。
そして「死」を身近に感じてからは、それが怖い存在とかではなく、当たり前にあるものだと理解しました。生まれたら終わりが来るように、早いか遅いか、やりたいことが出来たか、出来なかったか、やろうとした人生だったか。最期に泣いてくれる人が一人でもいたら、人生万々歳な気がする。
もう病気は本当にしたくない。健診をすることは、自分のためでもあるけど、家族や周りの人のためだと思っています。散々心配をかけたので、これからは恩返し出来たらいい。
❷ ” And let the haters hate on me, and let the lovers love on me “
あるアーティストが、自身の曲の歌詞を変えて、こう歌いました。人気の高いチョコレートでも、カレーライスでも苦手な人がいるのに、全ての人が自分のことが好き、はない。だから自分を大切にしてくれる人は貴重な存在。それがより強く思うようになりました。
私は悪意のない・何気ない一言で、傷付きやすいので、一旦嫌な気持ちになったら、その人の色んな側面を考えてみたりする。人間なので、それでも嫌なことは、もちろんあります。このマガジンを、バカにされたこともありました。でも、私にはある人の言葉でとても大事にしているものがあって、心の中で中指を立てて、こう思ってました。「あなたは、これを始めることすら出来ないでしょ。」って笑。(実際はもっと口が悪いです。)
病気をきっかけに、人の目が気にならなくなりました。どう思われようがどうでもよ、です。かといって感謝の気持ちは大事。人に感謝しながら、大事なことは自分が分かっていれば、それでいい。
❸ 旅行やライブ、スポーツ観戦、舞台や映画、食事など【体験すること】に足を運びたい。その時に生で得られる感情は計り知れないもの。病床はとても辛い。だから、その時には思い出や懐かしみを持っていたい。そして、絶対にまたあの場所に行くという、気持ちは本当に病気に立ち向かう精神を強くしてくれる。あの時は、『元気になってハワイに絶対行く!』と考えてました。もちろん、気持ちでどうにもならない方もいっぱいいることは理解しています。私は本当に恵まれた方だったんだと。
闘病中は、音楽や映画、アート、スポーツに励まされることが多かったのですが、元気がない時は耳から情報を得るのが楽でした。音楽はやっぱりたくさん助けられました。sigurrosやAntony&The JohnsonsやTom Waitsのアルバムをたくさん聴いていました。
ボクシングは、本当に日々の力になります。今年は『村田諒太・ゴロフキン戦』と『井上尚弥・ドネア2』を観戦しました。命を懸けてリングに上がる姿はただただかっこいい。これはいつか特集を組んで語りたい。笑
上出遼平さんが密着したイノマーのガン闘病の番組もとてもパワーを貰ったし、手術後に開催された『塩田千春展:魂がふるえる』は、この個展の打診があった翌日に癌再発を告げれらたそうで、その生きる力みたいなのが詰まっていて感動しました。手術前、ラジオから偶然聴こえてきた竹原ピストルの『Amazing Grace』が、彼の身近な方の癌を歌っていると知り、ブルっとしました。父親にごそっとまとめて買って貰った『ちびまる子ちゃん』の漫画。大好きなさくらももこ先生も同じ病気だったよな。映画も大好きで、なるべく映画館で観るようにしています。(映画は好みが重め暗めとはっきりしているので、共感されないかも。。)
それと、ベタとかメジャーみたいなものも食わず嫌いせず、心に引っ掛かるものは取り入れ、自らハマりに行くようにしています。みんながいいって言うものって結局いいんです。ベタ最高すよ。そういうのも知った上で、さらに自分の好きなものを極めたい。
レディー・ガガ、ワールドツアー・クロマティカボウル。8年ぶりの来日公演は、本当に感無量でした。私は初めて彼女の公演を観たのですが、まさに口から音源。いや、音源よりもすごい声量。日本文化やファンへの愛、LGBTQIA+に向けたメッセージ、アメリカの抱える問題について、MCもとても温かく、ますます好きになりました。
とにかく、ガガとトニーベネットとの2枚のジャズアルバムをよく聴いていました。映像も沢山観ましたし、今年のグラミー賞のステージも圧巻でした。ブロンドヘアにブルーのドレスを着たシンデレラがSwigingしていて、まさにディズニー映画のワンシーン。夢のようでした。私の好きなアーティストが「あなたは現代のジャズクイーンだ。」と挨拶していましたね。いつかアメリカで、ガガのJazz showを観てみたい。
ガガ自身のアルバムだったら2016年にリリースされた『Joanne』が好き。Joanneとは、難病で19歳でこの世を去った彼女の叔母。代名詞である過激なファッションでなく、ペールピンクの優しい色に身を包み、Joanneとしてそこに存在するレディーガガ。Joanneはガガのミドルネームでもある。
これは、イタリアからの移民としての家族のルーツ、自分のルーツを深く掘り下げ、ありのままを見せたアルバム。若くして娘・姉(ガガの叔母)を失った家族の深い悲しみを浄化し、傷を癒すようなアルバムだと感じました。曲順神、Come To MamaからJust Another Dayの流れが最高。アメリカの悲しい銃撃事件による人種問題に悩み、作ったとされるAngel Down 、病と闘う友人・ソーニャへ向けたGrigio Girlsも泣ける。(映画『A Star Is Born』のあの有名なワンシーンは、彼女が亡くなった翌日に撮影したそうですね。)
Netflix 『Five Foot Two』は、このアルバムの制作背景とスーパーボウル・ハーフタイムショーまでの1年を追ったドキュメンタリーで、友人の乳がん闘病、肉体的・精神的な苦痛、婚約解消、アーティストとしての彼女自身の苦悩、家族へ『Joanne』を聴かせるシーンも描かれているので、ぜひ観てほしいです。
人々の心情を懐古的にさせるオールディーズとカントリー、ロックでパンクな芯の強さ、クラシックな包容力と優しさ、ジャズの柔軟さと現代感、世界中を惹きつけるメッセージ性の高い圧倒的なポップス、今これを兼ね備えているソロアーティスト、ガガ以外にどれくらい居るだろう。
ガガは愛の人だと思う。自身も苦しみの中を這い上がりながら、ちゃんと人へ手を差し伸べる強くて優しい人。
若者への支援を目的にしたBorn This Way Foundationをお母様と一緒に設立。日本の震災時にいち早く行動してくれたのも有名ですよね。社会貢献のエピソードなんていっぱいあるのですが、単純に自分がお金と成功を手にしても、こんなことできるかは言えない。世間的にはスーパースターの存在かもしれませんが、人間らしくて、スウィートで、辛いことを乗り越えながら、年齢を重ねてきた今のガガが最高にかっこいい。
花道を降りてBステージに行く途中、とても近くに来てくれて、彼女と同じ目線になったのですが、小さいんですよね。こんな小さな身体でソロアーティストとして世界で戦っているんだと思って。
アーティストの光と闇、栄光と葛藤みたいなものを見てしまう癖があり、以前韓国のアーティストの会話で印象深いものがありました。(いや、そろそろ名前出せよなんですが、はいBTSのJINくんとナムさんです。)
「人の幸せは、お金じゃないってのが分かったよ。」(メンバ一同、マジャマジャ・そうそうという。)
「友人は『もう一生お金の心配はないだろ。』って言うけど、僕はたまに友人の人生の方が羨ましくなる。」
「僕はこう言いたい。みんな道を歩くのに一生困らないだろ、って。」
(人生の選択という意味ではなく、道・ストリート。簡単に外も歩けないということ。安室ちゃんも引退する時の密着で、「皆さんの方が人生楽しんでいると思う。」って言ってたな。)
私たちの当たり前の日常と私たちにとっては当たり前でない日常への憧れがお互いに交差し、結局は幸せというものは、その人次第であり、自分が決めるものなんだと感じました。
これからやりたいこと
ジブリを考察したい。小学生の時に観てから、「これを友達も大人も理解して観ているの?」と思って(嫌なガキ)、ちゃんと理解できなくて、途中で止めてしまったり、手をつけていない作品が実はいっぱいあります。今は考察動画もあるので、オタクにはもってこいの扉がまだまだありそうです。
このマガジンを始めた理由の一つは、とにかく始めてみる・動いてみるという一歩の大切さからでした。まわりがキャリアアップや出産などの人生の転換期を迎える中で、私は何もかも遅れをとっているんじゃないかと。でも、そんなことは全くなく、人には人の周期があって、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しい時も、上手くいかない時期、絶好調の時期、幸せな日々、願いが叶う瞬間がそれぞれに違って来る。それら誰しも経験することであり、人のことを羨んだり、他人と比べたり、周りを気にすることはナンセンスで、自分と自分の半径少しだけ見えていればいい。大きな雨が降る時に、雨の中を楽しめる心があったり、それを跳ね返せるくらいのパワーがあるといいですよね。欲しいな、それ。
その時は、自分を守ってくれる大きくてお気に入りの傘を持っておきたい。私には、それがマガジンで紹介した音楽や本や大事なものでした。病や心の傷を持つ方に対して、このマガジンが少しでも何かのきっかけであったらいいなとは思いますが、私には烏滸がまし過ぎるので、「この傘、今の私には少し大きいので、目的地まで一緒に入って行きます?」みたいな感じです。(えナンパじゃん、迷惑)
この病気になってから、色々な考え方が浮かぶようになりました。ただ、私よりもずっと大変な思いをされている方もいらっしゃる中で、口が裂けても、この病気に感謝しているなんて、言いません。命に関わる病気になったからといって、何か達観したり、何者になれるわけでもなく、病気なんてしない方がいいに決まってる、絶対に。もちろん、気付くことはたくさんありました。このマガジンも始めようとはしなかったはずです。病と向き合った自分、その中でもマガジンを始めた自分はちゃんと褒めてあげたいです。
今も支えてくれている家族や友人、お世話になっている方、私が大好きなアーティスト・アスリート、主治医、放射線室チーム、内視鏡チームを含むすべての医療スタッフ、そして、このマガジンの読者の皆様に感謝しています。ずっと健康でいてください。
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