東京で生まれ育った浜野優実さんご夫婦が北海道で営む、心とからだにやさしい雑貨屋さん・Hammy’s。札幌と旭川の間にある約15,000人が住む・砂川市。浜野さんが東京の地元に帰ると、人と自転車の多さに、「今住んでいる街の、3年分くらいの人とすれ違った。」と思うほどだという。
30歳でご両親の住む北海道へ移住したあの時のこと、お店のこと、北海道・砂川の街のことをお聞きしました。

2015年に東京から北海道へ移住したのは、20代の頃から抱えているパニック障害がきっかけ、と語る浜野さん。浜野さんが東京で通っていたいくつかの病院は、5分診療といわれるような短い診察の中で、症状に合った薬を処方される。取れない苦しさと増えていく薬の量。薬をやめた時に離脱症状で家から一歩も出られなくなってしまい、信頼する鍼灸の先生から、すぐにご両親のいる北海道で療養することを勧められた。
「車で過呼吸になりながらも、その先生が見つけてくれた自然療法を取り入れている北海道の診療所へ行き、夫と一緒に受診しました。先生の『優実さんの魂の恩人になりますね。』という私の人生の中で、とても印象に残っている言葉であり、今では理解できるようになりましたが、当時は、この先生は何言っているんだろう、くらいにしか思いませんでした。家系、歯の治療まで10枚にも及ぶ問診票を書きました。その先生は病気や症状、病名ありきの自分を診るのではなく、私自身、浜野優実という人そのものを診てくれました。根本を治しましょう、と。」
夫婦で通院する家族療法で治療を開始。フラワーエッセンスを使ったレメディ、食事療法などのほかにも様々な療法を選んでやってみた。
「この症状を少しでも軽くしたい、と藁にも縋る思いで来たのだから、もうここしかない、と覚悟を決めました。今まで敷かれたレールの上で、家族が導いてくれることに何の疑いもなく従ってきた自分が、初めて自分で選択をし、初めて自分で決断をした治療。自我が芽生えた瞬間でした。北海道に来た頃は悲劇のヒロインでいたのかもしれません。そんなんじゃ治るものも治らないよね、と。振り返ると、そこから変われたと思っています。」

雇用される働き方ではなく、個人事業主としての働き方を選択。治療費は絶対に自分で出すと決めていた、という。病気を抱えながら自分のお店を持つ。この働き方について、むしろ、それしか考えられなかったと話してくれた。
「私の性格上、医療費は絶対に自分で出したかった。それまでもハンドメイドのアクセサリーを委託販売していたのですが、少し体調が良くなってきた頃、北海道に移住してきた時に一番最初にお友達になった方のもとで、お店の一角を間借りさせてもらえることになりました。アルバイトなどの働き方ではなく、その日の自分の体調と相談しながら働くことができるのは、自分に合った選択でした。私は、北海道に住んでいるのに、車の免許を持っていないんですよ。仕事場に徒歩圏内で行けるのは絶対条件。とても安心できる場所だったのが一番大きかったと思います。ハンドメイドのアクセサリーをメインで販売する、3畳の小さなお店。当時はリハビリのような形で週3回、お店を開けていました。」

メロンアレルギーと小麦アレルギー。アレルギーが出たことを診療所の先生に伝えると、もう診察に来なくてもいいよ、と告げられたという。いらないものはいらないという、心から身体に症状が出始めた好転のサイン。
「外食はもちろん、スーパーなどで一般的に売られているものでも、口にできるものが少なく、購入できるものが限られてしまう。そういった方へ向けて、安心できる場所の一つになったらいいな、と『心とからだにやさしい雑貨屋さん』という今のHammy’sのコンセプトに至りました。2021年には夫と二人で株式会社を設立。3畳だった小さなお店が想像もできないほど今では大きくなりました。」

治療も会社の経営も、二人三脚で支え合った浜野さんご夫婦。浜野さんが【影響を受けた人】をこう話してくれた。
「隣で見守ってくれ、通院も一緒に行ってくれた夫。本当に感謝しています。彼は私と正反対で、物事を自分で決められる人。だからこそ出会うべくして出会ったんだなと思っています。そして、夫はもちろん、夫の母にも影響を受けています。いつも何かで迷っていると、安全で楽な方でなく、挑戦やワクワクすること、自分が成長できる方へ選択する夫と夫の母。今までの私は当然、安定の道を選んでいました。考え方が真逆な自分にとって、人生一度きりだしそうだよな、と。今では夫の母にはなんでも話せる関係です。」

「もう無理しないし、無理できない」という浜野さんの悩み事の解決法は、
「悩みがあると、一度ポーンと放り投げて、手放してみる。そうすると不思議と自分に必要な情報だけが入ってきたり、ベストな答えを引き寄せることができる。直感が研ぎ澄まされる瞬間があります。頭の中が悩み事でいっぱいになったり、ネガティブな方向へいきそうになったら、『ホ・オポノポノ(※)』を心の中で唱えてクリアリングします。もう自分のキャパを理解できたので、それが溢れそうになったらひたすら寝る!自分で調整できるようになったと思います。今、苦しんでいる人がいたら、もう十分頑張ってるから頑張りすぎないでほしいと伝えたいです。」
※ハワイに古くから伝わる民間伝承【ホ・オポノポノ】の4つの言葉(ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています)感情や思考の浄化・解決方法。
浜野さんの祖父の代から北海道で会社経営をし、母方の祖父母の代から、会津若松で焼き鳥を営んでいる。自身も雑貨屋を生業とする上で、最近腑に落ちたことがあったという。
「根底に、私にはこの家族の商人の血が流れているんだなと感じています。今では89歳になる祖母は現役で焼き鳥を焼いています。その根性を見せられると、私もまだまだだな、弱音を吐いていられないな、と思います。焼き鳥は今でも忘れられない思い出の味です。


馬は身近な存在。一人で馬に乗ったりと、
とてもいい環境でした。」
最近は「少し先の話や未来を考えることができるようになったよね。」と夫婦の会話でもよく出るそう。選択と行動。ずっと勉強したいと思っていたバッチフラワーレメディ。
「ふと思い立って、今年の春に申し込みして資格を取りました。資格の話をまわりに何もしていないのに、引き寄せの力が働いて、なぜかレメディのことを相談をされたり、聞かれたり、とまた何かの仕業で勝手に物事が動いていく笑。これから資格を使ってレメディの仕事をしていくのかは分かりませんが、なるようになるだろうと、きっといい方向に行くでしょうと思えています。
どん底を経験すると上がるしかない。這い上がれる術を知ったら、これから何が起きても大丈夫っていう自信がついたかもしれません。自分が選択したことを正解にしていく。まずやってみてダメだったら軌道修正すればいい。動けなかった時期があるから、やるしかないよね、と。病気をしたことでよかったことなんてないですが、病気をしたことで今の私がいる。そのサインをどう受け取るか、どう捉えるのかが大切だと思っています。」

思いもよらぬ形で東京から北海道・砂川という場所へ移住した浜野さんに、最後に砂川の好きなところを聞いてみた。
「雄大な大自然、澄んだ空気、綺麗な星空や大きな空には、日常の中で何度も心を救われています。救われるというより、心が洗われるという方が合っている気がします。徒歩圏内に畑や田んぼがたくさんあり、夏は採れたての新鮮なお野菜を食べられたり、地産地消のものを贅沢に食べられることです。


30歳で移住してきた当初は【友達の作り方】を忘れてしまっていましたが、出逢った方々は温かい方ばかりで、今ではたくさんのステキなお友達に恵まれ、良い刺激をいただきながら過ごすことができています。
東京で過ごしていた頃とは圧倒的に時間の流れが違い、ゆったりとした【北海道時間】が流れ、今の私には合っているんだと思います。初めて東京を離れて暮らしてみて、家族が近くにいてくれたこと、東京という街の魅力やありがたさに改めて気付くことができました。


砂川に移住したから、雑貨屋をはじめる挑戦ができたこと。都会にいたらこの挑戦はできなかったので、移住してきてよかったと心から思います。ボロボロになった私がゼロベースから砂川で立ち上がれたことに意味があるのかもしれません。」



動物との思い出
小学校の頃は鍵っ子だったのでお留守番をして遊び相手だったトイプードルのリンク。東京から北海道に一緒に移住したトイプードルのむぎ。2024年に亡くなってしまったむぎは心も身体も通じてしまうソウルメイトでした。今はビションプーの姉妹・花とリリィを迎え入れ、それぞれ私と実家とで飼っています。


昔の好きなテレビドラマ
Slow Dance (フジテレビ系・2005年)
昔から妻夫木聡さんが好きなのと、アパレルショップ店長役の深津絵里さんのお洋服が可愛くて、ベイクルーズの店舗・青山にあったエディットフォールルを実際に使って撮影していたんですよね。今観ても、とても可愛いんです。
平成を振り返る

スマホがなく、不便であったことが良かった時代。センター問い合わせのドキドキ感。学生時代に携帯電話が普及していった、いい時に良いとこどりができた世代なのかもしれません。『Zipper』や『CUTiE』などの雑誌を5冊くらい買って読み漁っていました。雑誌とテレビでしか情報を得られない、今とは全く違いますね。待ち合わせといえばの、今は無きGAP。平成=原宿を思い出しました。







